古城街道
「マンハイム」からチェコの「プラハ」までを結ぶ全長1000kmの街道。
「観光街道」に指定されています。また、ドイツ7街道の1つです。
点在する古城を結ぶルート「古城街道」。ホテルやレストランとして営業している所も多く、古城ホテルに宿泊しながら、ネッカー川の流れや美しいぶどう畑などを眺めながら旅を楽しめるので大人気です。
15世紀までに建設された「古城」はネッカー渓谷に集中しています。 それ以外の古城街道の地域では16世紀のルネサンス期以降の近世に建設された比較的新しい宮殿が大半です。
マンハイム → ハイデルベルク → ヒルシュホルン → ローテンブルク → ニュルンベルク→ ロケット→バイロイト→プラハ ※ローテンブルクで「ロマンティック街道」と交差しています。
プライベートツアーでは歴史と自然を満喫できます。
マンハイム Mannheim
オーバーライン地方北部のライン川とネッカー川が合流する地点に位置している「マンハイム」は18世紀にライン宮中伯(プファルツ選帝侯)の宮廷が置かれて以来繁栄した街です。
現在は、世界有数の音楽大学がある大学都市として、またワイン生産で有名な街になっています。
1889年建造の「給水塔」が街のシンボルです。
ドイツ最大の宮殿「マンハイム城」はプファルツ選帝侯領カール・フィリップとカール・テオドールによって18世紀に建てられたお城です。
450m以上の回廊を持つドイツ最大(ヨーロッパではベルサイユ宮殿に次ぐ規模)のバロック宮殿でしたが、第二次世界大戦で破壊されてしまい、外観は修復されたものの、内部まで復元されたのはごく一部です。
ハイデルベルク Heidelberg
山上の古城とその下に広がる城下町が際立つ街「ハイデルベルク」は中世の雰囲気が色濃く漂っています。
赤い屋根が美しい街並み、青いネッカー川に流麗なアーチの影を映しているカール・テオドール橋(アルテ・ブリュッケ)。橋の麓から山に向かって続く道の先には学生たちが思索に耽ったという「哲学者の道」があり、ハイデルベルクは学園都市でもあります。
アルテ・ブリュッケ(古い橋)の公式名称は「カール=テオドール橋」です。
この石造りの橋はドイツで最も古い橋の1つで、第二次世界大戦の末期、進軍してくる連合国軍を阻止するために国防軍によって爆破されましたが、1947年に完全復元。
橋のすぐ傍にはサルの像。サルが手に持っている金色の鏡を触るとお金持ちになれるという言い伝えがあります。
ドイツ三大名城の1つの「ハイデルベルク城」
(あと2つは「ノイシュヴァンシュタイン城」と「ホーエンツォレルン城」)
プファルツ継承戦争(大同盟戦争 1688-1697)で破壊されるまでプファルツ選帝侯の居城でした。1689年、ルイ14世の軍によって破壊され1693年に一部だけ修復された城趾の崩壊感に圧倒されます。城内には世界一の酒樽があります。
ヒルシュホルン Hirschhorn
“ネッカー渓谷の真珠”と呼ばれている「ヒルシュホルン」はヘッセン州南部の小都市です。有名な保養地であり、ベルクシュトラーセ=オーデンヴァルト・ゲオ=ナチュアーパークに位置しています。※ヒルシュホルン=鹿の角
「ヒルシュホルン」という名は領主のヒルシュホルン家に由来していますけれど、元々は1200年頃、ロルシュ修道院のレーエン(知行制)として「ヒルシュホルン城」が築かれたことから来ています。
オーデンの森の中、ヒルシュホルン・アム・ネッカーの町とネッカー川を見下ろす高台に位置し、ヒルシュホルンの街を眺望できる古城「ヒルシュホルン城」。赤みを帯びた色が特徴的な赤色砂岩層に立っています。このお城には「魔女の塔」「処女の接吻」「呪われた一族」などの伝説があります。
※13世紀に建造され、16世紀に本館は建て直され、現在は古城ホテルとしても大人気です。
ローテンブルク Rothenburg ob der Tauber
「中世の宝石箱」と讃えられる「ローテンブルク」は中世の街並みが綺麗に保存されていて、日本人に大人気の街です。
中世にタイムスリップしたような「おとぎの世界」。
ロマンティック街道の中で一番かわいい街。
※「ローテンブルク」は「赤い城」という意味です。
正式名は「ローテンブルク・オプ・デア・タウバー」
(タウバー川の上方のローテンブルク)
ローテンブルクは城壁の内外、見どころが色々ありますが、城壁内で特に有名なのは「プレーンライン」。(Plönlein:小さな場所という意味)
ジーバー塔、花を飾った木組みの家、おしゃれな鉄看板があちこちに・・・
ローテンブルク中心部の「マルクト広場」。
市庁舎、聖ゲオルクの泉、仕掛け時計(市議宴会館)、肉屋兼舞踏館、1年中クリスマスグッズを売っているショップなどもあります。
そのほか、「聖ヤコブ協会」「中世犯罪博物館」「城壁」「帝国都市博物館」「ブルク公園」「ドッペル橋(二重橋)」「タウバー渓谷」等々・・・見どころ満載です。
ニュルンベルク Nürnberg
バイエルン州第2の都市「ニュルンベルク」は第二次世界大戦後に再建された市壁内の街並みに、芸術的・文化的価値の高い中世~近世の建築物の遺構や断片が点在している街です。
見所は、街の象徴的建造物のニュルンベルク城、フラウエン教会、シェーナー・ブルンネン 、聖ゼーバルドゥス教会・聖ローレンツ教会・聖エギディーン教会など。
ニュルンベルク城は「カイザーブルク」(Kaiserburg、皇帝の城)と「ブルクグラーフェンブルク」(Burggrafenburg、城伯の城)の2つのお城からなっていて、現在も良好な状態で保存されています。
第二次世界大戦で大損害を受けましたが、以前の状態を再現する形で修繕されました。
※カイザーブルクは博物館、 ジンヴェル塔は展望台、 Reichsstädtische Bautenはユースホステルとして利用されています。
バイロイト Bayreuth
ミュンヘンとベルリンの中間地点に位置する文化と音楽の街。バロック様式の街並みが美しく、音楽祭(リヒャルト・ワーグナー歌劇祭)の街として有名です。
17世紀初めにブランデンブルク=クルムバッハ辺境伯の宮廷がこの地に移転して発展した街です。18世紀中頃に記念的建造物が建設され、新旧二つの宮殿や離宮の内装は、その特異性から「バイロイト・ロココ」様式と呼ばれています。
1749-1753年にゾンネンテンペル(太陽の神殿)を有する「新エレミタージュ宮殿」が建造されました。宮廷建築家ジョゼフ・サン・ピエールにより「竜の洞窟」「廃墟の劇場」や噴水などが造営され、庭園も整備されました(王宮付属庭園)。
音楽祭で知られる「バイロイト祝祭劇場」は全館が木造のオペラハウスです。オーケストラ・ピットを舞台下にあり(神秘の奈落)、観客を舞台に集中させます。音楽祭期間中は多くの音楽愛好家が訪れます。
ワーグナーが自作品の上演を目的として計画・設計し、バイエルン王ルートヴィヒ2世の後援を得て1872年に着工し、1876年完成。最初に上演された作品は『ニーベルングの指環』。
※ユネスコ世界遺産に登録されています。
チェコ
ロケット Loket
ロケットは町の周りをオフジェ川に取り囲まれている「肘」のような形をした小さな田舎町です。
※Loket=チェコ語で肘という意味です。
温泉保養客が観光に訪れる町です。ゲーテもこの地を訪れていて、ウルリカという娘に恋をしましたが、娘の親の反対で別れています。
ロケット城はオフジェ川の渓谷に位置し、ドイツとの国境を守る砦で「チェコ王国への鍵」とも呼ばれていました。
12世紀からの歴史を持つロマネスク様式の古城で、ボヘミア王国の歴代王達の居城でもありました。特にカレル四世はこの地を愛したそうです。大火で失われたこともあり、現存するのは16世紀につくられたものです。17世紀以降は、刑務所として使われました。
プラハ Praha
古城街道の終着点。チェコ共和国の首都。
市内中心部をヴルタヴァ(モルダウ)川が流れ、古い街並み・建物が数多く現存していて、中世の面影が色濃く残る街です。尖塔が多くあることから「百塔のプラハ」とも呼ばれています。
毎年海外から多くの観光客が訪れます。美術館・博物館が多く存在し、宮殿・修道院などでも芸術に触れることができ、世界で最も美しい街だと言われています。カフカの出身地でもあります。
市街地とヴルタヴァ川をはさんだ向かい側の丘の上に、荘厳な姿でそびえ立つ「プラハ城」は城塞都市を城としたものです。ボヘミア国王や神聖ローマ皇帝の居城でしたが、現在では大統領府が置かれています。城内はまるで小さな町のよう。
城内には様々な美術館・博物館、ゴシック様式の聖ヴィート大聖堂、ロマネスク様式の聖イジー教会のバシリカと修道院、宮殿、庭園、尖塔などがあります。